「らい予防法」についての日本らい学会の見解

日 本 ら い 学 会

68回会長 中嶋 弘

 標題の「らい予防法」とは、法律第214号「らい予防法」(「現行法」)を指す。本法律は、法律第11号「癩予防ニ関スル件」と、それを改正した法律第58号「癩予防法」(ともに「旧法」)との基本原理をそのまま受け継ぎ、「旧法」に続いてわが国のらい(ハンセン病)対策の法的根拠になっているから、ここではこれらは一括して考察する。なお、「旧法」に関連する論述には“らい”と古い医学用語を用い、「現行法」については“ハンセン病”と新しい医学用語を用いる。

 わが国のらい対策には、第1回国際らい会議(1897年)が大きく影響しているとされる。この会議での結論は、らいの予防には隔離が最善ということであったが、無差別な強制をすすめてはいなかった。

 法律第11号「癩予防ニ関スル件」(1907年)を議会に提出した内務省も、予防よりは救済が先決であり、在宅患者には省令か訓令をもって対応し、患者の子弟は養育院に預けるなどと答弁している。しかし実際には、3回にわたる改正を経て絶対隔離を目指す法律第58号「癩予防法」に改まった(1931年)。

 絶対隔離を強行したのは、らいの伝染性はいたって弱いが、濃密な接触を繰り返す家族内においては、どのような患者も伝染源となる可能性があり、しかも発病すれば生涯不治という認識からであった。これは当時の社会的背景、例えば、らいを国辱病と考える国粋主義や、隔離を正当化する社会防衛論などにも支持され、患者の救護よりも、伝染源の社会からの完全な排除を目的とした対策が、強力に推し進められることになった。

 しかし、最も確かな統計とされる徴兵検査の際に発見されたらい患者、いわゆる<壮丁らい>の年次推移は、1897年から1937年にいたるまでに、急速な減少に向けての明らかな漸近線を示している。また1919年から1935年までの間の4回の全国調査でも、患者の年齢構成は、青壮年者の減少に対して老年者が増加しており、疫学的に見たわが国のらいは、隔離とは関係なく終焉に向かっていたと言える。つまり、このような減少の実態は、社会の生活水準の向上に負うところが大きく、伝染源の隔離を目的に制定された「旧法」も、推計学的な結果論とはいえ、敢えて立法化する必要はなかった。それにもかかわらず、「旧法」の基本原理を変えずに「現行法」は制定された(1953年)。当時すでに、プロミンの効果は明らかであったし、国際的には患者の隔離は否定されていた。

 その後DDSを経て、1971年からはリファンピシンがハンセン病の治療に用いられ、1982年には、わずか数回の与薬によって、らい菌の感染性が消失することも動物実験で明らかにされた。最近は、新たにニューキノロン系薬剤も加わり、これらを組み合わせた多剤併用療法が著効を奏している。

 ハンセン病治療は、当初から外来治療が可能であり、ときには対応が困難とされたらい性結節性紅斑やらい性神経炎も、現在では十分管理できるようになった。さらに、過去のスルフォン剤単剤療法による再発率に比べると、多剤併用療法でのそれは極端に低い。

 また、ハンセン病医学の現状をみると、ハンセン病の感染経路、感染性と発症力との関係、宿主の易感染性と遺伝的素因など、不明瞭な部分も多くあるが、最近の知見から推して、一般の細菌感染症の概念から逸脱する研究報告は皆無であり、特別の感染症として扱うべき根拠はまったく存在しない。

 以上述べたように、「現行法」はその立法根拠をまったく失っているから、医学的には当然廃止されなくてはならない。

 ところでわが国は、1955年には全体の91%余りの隔離が終わり、かつてのような隔離の強制はなく外来治療も定着する中で、新発生患者が激減したために、療養所中心のハンセン病対策を依然として続けてきた。必然的に、社会との共存を訴えるWHOとは相容れず、いきおい世界から孤立してしまった。一方国内においても、療養所中心という閉鎖性がわざわいして、医療機関や研究機関がハンセン病に対する関心を薄めたのは否定できない。

 日本らい学会が、これまでに「現行法」の廃止を積極的に主導せず、ハンセン病対策の誤りも是正できなかったのは、学会の中枢を療養所の関係会員が占めて、学会の動向を左右していたからでもあり、長期にわたって「現行法」の存在を黙認したことを深く反省する。

 以下は、「現行法」自体についての学会の見解とは異質な問題かもしれないが、廃止後のハンセン病対策のあり方に関して少し触れてみる。

 まず、療養所と現にそこにいる入所者については、今後とも現状が維持されるにしても、新発生患者には原則として外来治療が行われるから、保険診療の適応は急務であり、それにハンセン病は全身的なケアを要するという観点に立って、相応な総合病院をハンセン病治療の拠点病院に整備し、専門医の育成にも努力しなくてはならない。

 終わりに、救癩の旗印を掲げて隔離を最善と信じ、そこに生涯を賭けた人の思いまでを、私たちには踏みにじる権利がない。しかし、無謀な強制隔離によって、肉親と引き裂かれた人の悲痛な叫びに、今改めて耳を傾けながら、これほどの無残さを黙視したことに対し、日本らい学会には厳しい反省が求められるであろう。

 それに、らい対策も医療的対策以外の何ものでもないから、隔離の強制を容認する世論の高まりを意図して、らいの恐怖心をあおるのを先行してしまったのは、まさに取り返しのつかない重大な誤りであった。この誤りは、日本らい学会はもちろんのこと、日本医学会全体も再認識しなくてはならない。

1995年4月22

          日本らい学会「らい予防法」検討委員会(五十音順)

          尾崎 元昭・後藤 正道・長尾 榮治・成田 稔(委員長)・牧野 正直